前回たどりついた長野県の横尾城と城主横尾采女正であるが、彼自身は横尾城で戦死したらしい。
というわけで、そのあたりの事情を
山城めぐり さんのサイト ①
http://tomioka.at.webry.info/201204/article_20.html
群馬無線倶楽部 さんのサイト ②
http://www12.plala.or.jp/huv7k1/newpage5.index.html
から読み取ってみようと思う。
信州村上義清の幕下にあった横尾采女は、天文年間の「上田原の戦い」にて戦死する。しかし、その子どもである
横尾紋十郎(のちの横尾丹波)
は大桁山山麓に隠れ住み、その子孫がまた別の家に仕えながら生き延びてゆく、というわけである。
系譜を辿ると
横尾采女 - 横尾丹波守 - 横尾掃助・横尾権助・横尾帯刀
また、横尾丹波守のきょうだいに横尾飛騨守がおり、その子孫に横尾丹後がいるらしい。
おさらいだが、
大竹屋旅館さんのサイト
http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagano/uedasi04.htm
によれば、横尾采女の子供・家臣は上州へ移ったとのこと。