2023年2月20日月曜日

【26】 点と線 横尾村がもうひとつあった?

 

 兵庫県の横尾姓、特に丹波地域を中心とするものについて、 そのルーツの全容が見えてきたところであるが、ざっくり言えば

 

■ 播磨国加西郡横尾 (現在の加西市北条町横尾)

 

を苗字の地として、戦国時代に

 

■ 丹波国氷上郡小新屋 (現在の丹波市山南町小新屋)

 

にやってきたのが、”横尾四郎太夫正政”という武将だったという話である。

 

 ついでに

 

■ 天正11年に、横尾正政は、加西郡桑原村で亡くなった

 

という記録もあり、実際加西市桑原田には「横尾」姓の家があった。

 

 

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 ところが、面白いことに古記録を当たっていると

 

■ 多可郡横尾

 

という村があったらしいのである。

 

 

「兵庫県警察の誕生」草山・1984

多可郡の田高・明楽寺・横尾の各村 を結ぶ線以内とした。”

 

「神戸市史 第二巻」1921

播磨國多可郡高明樂寺・横尾諸村迄とせり。”

 

 (田高は黒田庄・明楽寺は西脇である)

 

 

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 ところが、この村名、明治期の外国人居留地に関するものしか出てこない。

 

 

 「遊歩地域」

https://www.weblio.jp/content/%E9%81%8A%E6%AD%A9%E5%8C%BA%E5%9F%9F 

 

”兵庫県は遊歩区域を具体化するべく「外国人遊歩規定」を定め、「10里以内」を路程にして10里以内と解釈し、東は川辺郡の小戸村・栄根村・平井村・中島村、西は印南郡の曽根村・阿弥陀村、南は海、北は川辺郡の大原野村、多紀郡の川原村・宿村・八上下村・犬飼村、多可郡の田高村・明楽寺村・横尾村を境界とした。”


 もしかすると横尾村についてのみは「加西郡」横尾のことを言っているのかもしれないが、要確認である。