2014年6月24日火曜日

【3】横尾姓・横尾氏・苗字「横尾」のルーツと分布

 前回、姓氏家系辞典による横尾氏について概観したところだが、では一体全国にどれくらいの「横尾」さんの分布があるのか、ということで調査してみた。



 同姓同名探しと名前ランキング 



 というサイトで、電話帳ベースによる苗字の分布がわかるので、さっそく入力!


 http://namaeranking.com/?search=%E5%90%8C%E5%A7%93%E5%90%8C%E5%90%8D&surname=%E6%A8%AA%E5%B0%BE&firstname=&tdfk=%E5%85%A8%E5%9B%BD


 検索結果は上のとおりである。



 データを少し整理してみよう。


 ① 全国に「横尾」姓は3600軒あるらしい。

 ② 横尾姓が多い順位は

   佐賀県 381軒
   
   新潟県 300軒
   
   山形県 274軒
   
   東京都 259軒
   群馬県 259軒

   千葉県 227軒
   福岡県 227軒

   といった具合。

 ③ 我らが兵庫県の「横尾」姓は 97軒少なくもないが、めちゃくちゃ多くもない


 ④ 分布として目立つのは

   新潟・山形 などの北の地方

   東京・埼玉・群馬・千葉・神奈川 の関東地方

   佐賀・長崎・福岡・大分 の九州に多く分布

   そして大阪・兵庫に一定数のひろがり


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 というわけで、上の4つの山(分布)を中心にそれぞれの氏族を見てゆくと概略はなんとなく掴めそうな気がするのだが、果たしてどうなることか。


 もちろん、これらが相互に関係するのか、それともあまり関係ないのか、今の時点ではさっぱりわかっていません。


 というわけで、次回へ続く!


2014年6月19日木曜日

【2】横尾姓・横尾氏のルーツ 苗字「横尾」の出自

 というわけで始まった「横尾姓」「横尾氏」「苗字・横尾」のルーツ探しの旅であるが、


 まず最初にやるべきこと


というのがあるわけで。


 それは、「自分の苗字のルーツを探そうとする者」にとっては必読のあの本を読むことである。


 そう、太田亮大先生「姓氏家系辞書」「姓氏家系大辞典」から、最初の知識を仕入れてみよう、というわけである。


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「姓氏家系辞書」(太田亮)より <注 現代語に直している> 


■ 横尾氏 【清和源氏芳美氏族】 和田系図に芳美貞俊-俊家(横尾)-俊真-俊重と記載。


■ 横尾氏 【称平氏】 中村氏の末裔。家紋は丸に蔓柏、丸に花沢瀉、五本骨扇に日の丸。



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「姓氏家系大辞典」(太田亮)より <注 現代語に直している>


■ 横尾 ・・・信濃・上野などにこの地名が存在する。


1 清和源氏芳美氏族  和田系図裏書に「芳美太郎貞俊-俊家(横尾)-又二郎俊真-次郎太郎俊重-俊秦(三木彦次郎入道)」と見える。


2 上野  吾妻郡横尾邑(ムラ)より起こる。


3 滋野姓  海野氏の族にして、信濃国小縣郡横尾村より起こり、横尾城を拠点とする。岩下豊後守幸久の孫、幸兼の男幸成、横尾三郎と言い、後に但馬守と称する。この人物かと思われる。
横尾城は村上義清のために落城する。


4 平姓  中村氏の末裔。六右衛門昭平(與左衛門、行隆、享保幕臣)に至り、この氏を称する。家紋は丸に蔓柏、丸に花沢瀉、五本骨扇に日の丸。


5 豊後(地方)  當国の豪族で、圃田帳に「玖珠郡山田郷山階村二十五丁三段云々、地頭職小田左衛門尉重成、横尾十郎成資跡」とある。また「飯田郷恵良村云々、本庄横尾十郎成資跡」とある。


6 中国(地方)  山名家臣に横尾軍兵衛が見え、また、尼子家臣に横尾源助久盛、また因幡木下家臣に横尾氏がある。(子孫は智頭郡にいる)


7 その他  「東鑑」第27巻に横尾左近将監が載っている。また佐賀藩に横尾定(静安)がいる。同国の儒学者横尾文輔道賢は紫洋と名乗った。また仙台藩士横尾東作は南島の開拓に功績があったという。そのほか、豊前、武蔵、山城、摂津、播磨などに横尾姓が存在する。



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 ちなみに、上記2冊は太田亮先生が亡くなってすでに50年が経過し、著作権が消滅している。(刊本としてはいずれも絶版)


 ざっと概観した限りでは、「兵庫県の横尾氏」


 摂津・播磨などの横尾姓


なのかなあ、と思うが、まだまだ詳細は明らかになっていない。



 当家の伝承とつき合わせてみると、阪神間に親戚が多いこと、本家の位置が播磨にも近いこと、などから上記のことを念頭に置くのだが、それだと「姓氏家系辞書・大辞典」的には


ノーマークの横尾氏


ということになる。



 というわけで、さらなる調査を続行するのであった。

2014年6月13日金曜日

【1】ご先祖様探し・ルーツ探しをはじめるに当って

 「横尾」というちょっと変わった苗字を受け継ぐことになった私であるが、いよいよご先祖様探しに取り掛かりたい。


 そこで、当家に関わる基本的事項をまずはおさらいしておこうと思う。


 もちろん、現在私は、私たちの「横尾一族の本家」には住んでおらず、どちらかというと私の親は末っ子の流派なので、本家とは少し離れてしまっている。

 というわけで、ここで説明する「横尾一族の拠点」というのは、現在の私が住んでいる地域とは大きく異なることを理解しておいてほしい。



 まず、基本的な情報として私が知っている「横尾家」の姿とは、以下の通りである。



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①本家のある場所は、兵庫県のとある地域、である。



②本家は、昭和期には「農業」を営んでいたが、「林業」にも関わりがあったように聞いている。

 曽祖父は山の売買なども行っていたようだ。



③家紋は「五三の桐」である。

 親が言うには「秀吉の勢力が強かったところは、みんなそうじゃないの~?」と大して気に留めていない。


④本家の本家と呼ばれる一族が居て、「神戸の材木問屋だった」とかなんとか聞いている。また、別の本家筋の一族は「尼崎にいる」らしい。



⑤阪神間で「おもちゃ屋」さんをしている(ちょっとしたチェーン店)人は親戚だという。


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という伝承を中心にいよいよ調査開始しようと思うが、ここで一点だけお断りをしておきたい。


 しょっぱなから「なんじゃそりゃ!」とつっこまれること請け合いだが、実は私の現在の姓は「横尾」ではない。


 しかし、諸事情により、私の親のきょうだい、その子供達が全部で何十人もいるのだが、えらいことに、嫁いで姓がだんなさんのものとなっていたり、子供が女子ばかりだったりで、


 どうやら、次の世代に「横尾」の姓を受け継ぐ者がいなくなりそうな状況


なのである。


 これは、たいへんに残念なことで、特に親のきょうだいなんか「全部で6人」もいる第一次ベビーブーマーだったのに、そんなことになるなんて!と驚きを隠せないのだが、致し方ない。



 そんなこともあって、ここは横尾一族の末席に座る私が、申し訳ないながら、当ブログを通じて兵庫近辺の「横尾氏」の証を残そうとする次第なのだ。


 
 読者諸君の中で、「横尾」にゆかりのある方はぜひ、当ブログに参加していただければ、嬉しく思うこと間違いない!


 ではでは。


2014年6月3日火曜日

【はじめに】 ~全国の『横尾』なみなさんへ~

 みなさんこんにちは

 そして、全国の「横尾」さん、はじめましてこんにちは。


 当ブログは、横尾一族の末裔である「横尾某」ことワタクシが、自分のご先祖さまと家系について、自由闊達に想像を巡らせた


 エンターテイメント系ご先祖様探訪ブログ


です。


 日本全国におられる「横尾」さんは世帯数でおおむね3500軒くらいと言われていますが、そのルーツは全て同じというわけではありません。

 でも、せっかくおなじ「横尾」姓なのですから、どこかで繋がってみるのも面白いと思います。


 というわけで、「横尾」なルーツ探しの旅の始まりです!