前回の「長野・上田市」を中心とするサマーウォーズと真田氏を調べていると、わけがわからなくなってきた。
そう、真田氏と関係のある「横尾氏」の出自についてである!
信濃の横尾氏を調べていると、よくわからない記述にいろいろ出くわして、頭がこんがらがっているので、ここで一旦まとめてみないと収まらない。
ようするに
「信濃横尾氏は、源氏なのか、それとも平氏なのか」
という大問題にぶち当たったのである。
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そもそもは、太田亮先生の「姓氏家系大辞典」に立ち戻ろう。そこでは信濃の横尾氏について
■ 横尾 ・・・信濃・上野などにこの地名が存在する。
1 清和源氏芳美氏族 和田系図裏書に「芳美太郎貞俊-俊家(横尾)-又二郎俊真-次郎太郎俊重-俊秦(三木彦次郎入道)」と見える。
2 上野 吾妻郡横尾邑(ムラ)より起こる。
3 滋野姓 海野氏の族にして、信濃国小縣郡横尾村より起こり、横尾城を拠点とする。岩下豊後守幸久の孫、幸兼の男幸成、横尾三郎と言い、後に但馬守と称する。この人物かと思われる。
横尾城は村上義清のために落城する。
4 平姓 中村氏の末裔。六右衛門昭平(與左衛門、行隆、享保幕臣)に至り、この氏を称する。家紋は丸に蔓柏、丸に花沢瀉、五本骨扇に日の丸。
5 豊後(地方) 當国の豪族で、圃田帳に「玖珠郡山田郷山階村二十五丁三段云々、地頭職小田左衛門尉重成、横尾十郎成資跡」とある。また「飯田郷恵良村云々、本庄横尾十郎成資跡」とある。
6 中国(地方) 山名家臣に横尾軍兵衛が見え、また、尼子家臣に横尾源助久盛、また因幡木下家臣に横尾氏がある。(子孫は智頭郡にいる)
7 その他 「東鑑」第27巻に横尾左近将監が載っている。また佐賀藩に横尾定(静安)がいる。同国の儒学者横尾文輔道賢は紫洋と名乗った。また仙台藩士横尾東作は南島の開拓に功績があったという。そのほか、豊前、武蔵、山城、摂津、播磨などに横尾姓が存在する。
と書いてある。
問題となっているのは、3の「滋野姓横尾氏」である。
この点について、より詳しく説明なさっている方を見つけたので、そちらも参照願いたい。
全国の海野氏と寺院 さんのサイト
http://musha.mobi/index.php?%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%90%84%E5%9C%B0%E3%81%AE%E6%B5%B7%E9%87%8E%E6%B0%8F%E3%81%A8%E5%AF%BA%E9%99%A2
ここから、該当部分だけを抜き出せば、
『 小県郡岩下に住し、海野系岩下氏が姓となす。領所は小牧・岩下村を領す。世俗小牧殿と称し、岩下幸兼・幸邦などあり、岩下幸邦の弟にして、上之条に住
み、竹鼻二郎左衛門と号し、のちに横尾領横尾但馬守と号し、世俗横尾殿、曲尾も小県洗馬地方には海野系半田氏も繁栄発展を続け屋代雨宮にも半田氏がおる。』
とのこと。
まとめてみよう。
①小県郡に、岩下という一族がいて、海野系岩下氏を名乗っている。
②この一族から横尾但馬守という人物が出た。
という話と、
③小県郡横尾に横尾城があり、村上氏に滅ぼされる。
という話があり、それが同一氏族だと仮定して太田先生は話を進めているわけだ。
ところが、以前に検討したように、横尾城の横尾氏は、平氏を名乗っており、海野系とは一言も言っていない。
山城めぐりさんのサイトを参照のこと
http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi/e/cb7916cab05b5898766265c9130f5f50
なので、この横尾氏は、それぞれ実は別の氏族だと考えられまいか?!
太田大先生、ごめんなさい。どうもそんなことになりそうですm(_ _)m
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さて、ちなみに姓氏家系辞典の1にあたる「清和源氏芳美流横尾氏」とは、いったいどんな氏族なのであろうか。
日本の苗字7000傑さんのサイト
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01003a.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01003.htm
と
清和源氏の一族名さんのサイト
http://www5b.biglobe.ne.jp/~giemont/seiwaichizoku.htm
を参考にすれば、
源満仲 → 満快(子孫は信濃に広がる) → 伊那氏 → 芳美氏 → 横尾氏
という流れがあったのではないかと推測することは可能である。
これで源氏系を称する横尾氏は2氏あり、どちらも信濃にゆかりがあることがわかってきた。
2015年7月4日土曜日
【11】 サマーウォーズと横尾氏 ~信州上田、真田氏の動向を中心に~
昨日の金曜ロードショーでは、細田守監督の
「サマーウォーズ」
をやっていた(^^
この映画、長野県上田市が舞台で、登場人物たちのモデルは、真田氏だと思われる。
六文銭の甲冑が出てきたり、おばあちゃんの着物の家紋が「結び雁金」だったりするので、真田オーラが全開というわけ。
ついでに言えば、実家の門は、「上田城」の城門がモデルになっているようで。
==========
さて、そんな長野県上田市と横尾一族との関係をあらためておさらいしておこう。
長野県上田市、上田城は、真田氏の居城である。この地は旧名「信濃国小県郡上田」といい、真田氏はこの地の小さな豪族からスタートしたと考えられている。
真田氏は、甲斐武田氏に仕えており、武田氏滅亡のあとは織田氏、豊臣氏と仕えて関が原へ至る。
このあたりは来年の大河ドラマでみっちりやるはずなので、期待大ですな。
ところで、この真田氏。実は小県郡で活躍するに当たっては、それまでその地を支配していた横尾氏を追い出して居座るような形になっている。
それが、おなじ上田市旧真田町の「横尾城」の物語であって、このへんは以前の記事で解説したので割愛する。
ちなみに、この地において真田に追い出された横尾氏は、本姓平氏を名乗っているため、どうやら当家のご先祖と関係あるとは思えない。
当家の横尾氏は、源氏を名乗っており、これがもし長野にゆかりがあるとすれば、
源氏の横尾氏と平氏の横尾氏
という2種類の氏族が長野に存在する、ということになるわけである。
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その謎を解くヒントが、やはり真田氏にある。真田氏という一族は、戦国時代の後半に頭角を表した氏族で、実は
出身がよくわかっていない
のである。
公式見解としては、真田氏は
①清和源氏である
②海野氏の末裔とする。
③滋野氏嫡流、海野氏につながるとする。
となっているが、これは近世になってから創作された可能性が高い系図である。
では実際にはどうだったのか?歴史資料的には、おなじ信濃の名族である根津氏の支配下に「真田・実田」などの名前が見えるので、根津氏末流もしくは家臣であると考えられている。
はい、ややこしくなってきたので、まとめ。
まず信濃には滋野三家という「有名な氏族が3氏」存在していた。
この滋野氏。伝説では清和天皇の第四皇子が長野に来て、滋野姓をもらったことになっている。
なので、系図上の滋野氏は「清和源氏」ということになる。
(しかし、現実的にはどうも違うらしい、別の滋野姓の一族が、清和天皇由来説を創作したという説が強い)
さて、滋野氏から「海野・望月・根津」という3つの氏族で出てきて、これらを「滋野三家」と呼んでいる。
■ 海野氏 <六文銭> 小県郡に勢力。 滋野の分流とされているが、証拠はない。あるいは滋野系とは無関係のスタートかもしれない説あり。
ただし、滋野嫡流とされている。 長男家
■ 望月氏 <九曜> 佐久郡に勢力。 滋野の分流。鎌倉時代には望月姓。三男家。
■ 根津氏 <丸に月> 小県郡に勢力。 次男家。
(基本的に、3氏族は強い協力体制にあった)
==========
さて、真田氏の真実に迫ろうとすれば
「海野氏よりも、実は根津氏に近かったのではないか」
とか
「滋野氏がそもそも清和天皇末裔であることが、不明」
とか、いろんな問題点が浮上する。
しかし、大名になった真田氏としては
「俺は清和源氏で天皇の末裔なんだもんね。かつ、信濃でナンバー1の滋野氏の末裔で、かつその中でも長男の家系の海野氏なんだもんね。だから家紋は六文銭で結び雁金なんだもんね」
ということを主張しまくったことだけは、なんとなく伝わってくる。
まあ、必死こいて自分たちの正当性を言いまくったわけである。
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なんでこんなに主張するのかはカンタン。それは真田氏が「元いた連中を追い出した側」だからである。追い出した側としては、その地を支配するにあたって、「そこにいていいんだよ」という正当性を打ち出さないと、いつまでたってもアウェィ状態でうまく支配できない。
そのため、信濃で一定の権限を持っているはずの滋野流を名乗ることで、「あとから来たよそ者みたいに見えるけど、実はこの地の元からの支配者の子孫です」と言わねばならなかったわけであろう。
「サマーウォーズ」
をやっていた(^^
この映画、長野県上田市が舞台で、登場人物たちのモデルは、真田氏だと思われる。
六文銭の甲冑が出てきたり、おばあちゃんの着物の家紋が「結び雁金」だったりするので、真田オーラが全開というわけ。
ついでに言えば、実家の門は、「上田城」の城門がモデルになっているようで。
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さて、そんな長野県上田市と横尾一族との関係をあらためておさらいしておこう。
長野県上田市、上田城は、真田氏の居城である。この地は旧名「信濃国小県郡上田」といい、真田氏はこの地の小さな豪族からスタートしたと考えられている。
真田氏は、甲斐武田氏に仕えており、武田氏滅亡のあとは織田氏、豊臣氏と仕えて関が原へ至る。
このあたりは来年の大河ドラマでみっちりやるはずなので、期待大ですな。
ところで、この真田氏。実は小県郡で活躍するに当たっては、それまでその地を支配していた横尾氏を追い出して居座るような形になっている。
それが、おなじ上田市旧真田町の「横尾城」の物語であって、このへんは以前の記事で解説したので割愛する。
ちなみに、この地において真田に追い出された横尾氏は、本姓平氏を名乗っているため、どうやら当家のご先祖と関係あるとは思えない。
当家の横尾氏は、源氏を名乗っており、これがもし長野にゆかりがあるとすれば、
源氏の横尾氏と平氏の横尾氏
という2種類の氏族が長野に存在する、ということになるわけである。
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その謎を解くヒントが、やはり真田氏にある。真田氏という一族は、戦国時代の後半に頭角を表した氏族で、実は
出身がよくわかっていない
のである。
公式見解としては、真田氏は
①清和源氏である
②海野氏の末裔とする。
③滋野氏嫡流、海野氏につながるとする。
となっているが、これは近世になってから創作された可能性が高い系図である。
では実際にはどうだったのか?歴史資料的には、おなじ信濃の名族である根津氏の支配下に「真田・実田」などの名前が見えるので、根津氏末流もしくは家臣であると考えられている。
はい、ややこしくなってきたので、まとめ。
まず信濃には滋野三家という「有名な氏族が3氏」存在していた。
この滋野氏。伝説では清和天皇の第四皇子が長野に来て、滋野姓をもらったことになっている。
なので、系図上の滋野氏は「清和源氏」ということになる。
(しかし、現実的にはどうも違うらしい、別の滋野姓の一族が、清和天皇由来説を創作したという説が強い)
さて、滋野氏から「海野・望月・根津」という3つの氏族で出てきて、これらを「滋野三家」と呼んでいる。
■ 海野氏 <六文銭> 小県郡に勢力。 滋野の分流とされているが、証拠はない。あるいは滋野系とは無関係のスタートかもしれない説あり。
ただし、滋野嫡流とされている。 長男家
■ 望月氏 <九曜> 佐久郡に勢力。 滋野の分流。鎌倉時代には望月姓。三男家。
■ 根津氏 <丸に月> 小県郡に勢力。 次男家。
(基本的に、3氏族は強い協力体制にあった)
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さて、真田氏の真実に迫ろうとすれば
「海野氏よりも、実は根津氏に近かったのではないか」
とか
「滋野氏がそもそも清和天皇末裔であることが、不明」
とか、いろんな問題点が浮上する。
しかし、大名になった真田氏としては
「俺は清和源氏で天皇の末裔なんだもんね。かつ、信濃でナンバー1の滋野氏の末裔で、かつその中でも長男の家系の海野氏なんだもんね。だから家紋は六文銭で結び雁金なんだもんね」
ということを主張しまくったことだけは、なんとなく伝わってくる。
まあ、必死こいて自分たちの正当性を言いまくったわけである。
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なんでこんなに主張するのかはカンタン。それは真田氏が「元いた連中を追い出した側」だからである。追い出した側としては、その地を支配するにあたって、「そこにいていいんだよ」という正当性を打ち出さないと、いつまでたってもアウェィ状態でうまく支配できない。
そのため、信濃で一定の権限を持っているはずの滋野流を名乗ることで、「あとから来たよそ者みたいに見えるけど、実はこの地の元からの支配者の子孫です」と言わねばならなかったわけであろう。
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