2017年1月29日日曜日

【NHK大河連動 ”今日の『おんな城主直虎』”4】おとわクランクアップ!闇の刺客は仮面ライダーの巻



 いよいよ、NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」も第4回!

 初回から突っ走ってくれた「おとわ」ちゃんも、今日までです。



 出家して厳しい修行に臨むことになったおとわですが、一日で逃げ帰ってきたり、まるでホームドラマのよう(笑)


 まあ、でも、お母ちゃんに叱られたり、ホームドラマなことが幸いして安心して見ていられる出来でした。




 ちょっと心配していたのは、1回~4回までの「おとわ」の演技が明るすぎて、クールビューティな感のある柴咲コウになってからとのギャップがあるのでは?ということですが、次回の予告編を見る限り大丈夫そうです。




 柴咲コウ、おとわっぽく叫んでます(笑)




 ここで柴咲コウの秘密。うちの奥さんは北海道出身なのですが、奥さんの職場の先輩(女性)だった人の元彼の元彼女が柴咲コウだった、という話があるのですが、



 ・・・・ほんまかいな~!?




 ~~~~~~~~~~



 さて、今日のゲストは、ロボコップ吹越和泉守を親の敵と狙う、



 仮面ライダーマッハ(仮面ライダードライブより)





でした。相変わらずの男前&目力ですが、稲葉友(いなばゆう)さんという俳優さんです。応援してね!

先日は「レンタル救世主」で女装もしてましたが、頑張っています。





~~~~~~~~~~




 さて、近年の大河ドラマでは必ず出てくる「本領安堵」のことばですが、おとわも自分の行動の意味をよく理解していなかったくらいですから、ここでおさらいしておきましょう。


 ざっくり言えば「先祖伝来の土地の所有権を認めてもらうこと」ぐらいの意味なのですが、 本来の意味で言えば、土地の権利と言うのは



「その土地を開発開墾したから、そこは最初から自分達の土地である」



ということが基礎になります。つまり、他人から奪いとったり、買い取ったり、プレゼントされたりした土地は「本領」ではない、ということですね。



 ところが、そこがどう考えても「自分の土地」であっても、それを認めてくれる権力がいなければ、



「自分でそう主張しているだけ」



のように聴こえてしまいます。なので、戦国時代などは、特に自分が「上位である」と認める支配者に対して


「本領安堵」


の認可をもらうことに躍起になる、というわけですね。




 ちなみに、戦国時代モノで「本領安堵」が連呼されるのはワケがあって、戦国時代までは「自分のものは自分のモノ」でしたから、「本領」が意味を成すのですが、江戸時代になると



「すべては徳川のもので、それを一時的に貸し与えられている」


というイメージになりました。なので、言うことを聞かない藩は取り潰しや転封になって土地から引き離されるわけです。



 最終的に井伊氏も、駿河井伊谷から彦根へ移されるのですが、そこには「江戸時代には、全部徳川のもの」という前提があるから、転勤が成立するわけですね。














 

2017年1月22日日曜日

【NHK大河連動 ”今日の『おんな城主直虎』”3】しゃべらへんのかーい!しゃべるんかーい!な今川義元の巻




 さあ、可愛いおとわが頑張る「おんな城主直虎」も第三回です。


 おとわが元気すぎて、果たしてクールビューティーな柴崎コウになったとき、統一感が出るのか心配になるほどですが、来週までおとわちゃんは頑張る予感。



 というわけで、今日の直虎は、「蹴鞠も頑張るおとわ」といういかにも創作感満載のエピソードでしたね。



 まあ、おとわの出家が認められるいきさつとしては、ドラマ的にはとても気を抜いて見ることができたわけですが、そこへ至るまでに、



 佐野史郎


とか


 浅丘ルリ子


とか、ある種のホラー系ベテラン陣をいい人で配しているので、奥深いものとなっていました。


 これで、今川もルリ子も史郎もやばい奴だと、



「今川一族、危なすぎる」


感満載になるのですが、それはなんとか回避成功(笑)




 さて、今日のみどころは、この番組一、期待されている今川義元の



「しゃべらへんのかーい!」





「しゃべるんかーい!」



白塗り笑顔です!フェイントもあるよ(笑)





 さて、今日新しく登場した子役2名にも注目です。



 一人は、今川家臣に嫁いだ佐名の娘、瀬名ちゃんですが、のちに奈々緒になります。


 そして、のちに今川氏真になる龍王丸くんですが、のちに尾上松也に!




 どちらも大人になってからのキャラが濃いですが、そのあたりもふんわりとかもし出す配役で、良かったと思います。



=========


 史実では、佐野史郎はあんな顔してなかなか強力な今川側の軍師だったわけですが、南渓和尚だって、実は井伊の一族で、



「井伊本体がガタガタの時は、実は井伊を引っ張っていた本物の策士であり、リーダー」


だったそうです。



 このドラマ、「ひと癖もふた癖もある人物を、み癖もよ癖もある俳優さんで当てる」布陣が、今後じわじわと効いてきそうですな。








2017年1月15日日曜日

【NHK大河連動 ”今日の『おんな城主直虎』”2】腹黒小野政直のロボ村西とおるが見たい!の巻



 NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」もいよいよ第二回!





 おいおい、柴崎コウが出てくる前




 全部子役に食われちゃうんじゃないか!!!




というくらいのすばらしい出来で、今のところ安心して見られるスタートですね。



 あらかじめ宣言しておきますが、今日のラストはかなり衝撃的です!



 新井美羽ちゃん、がんばってます(^^





 さて、初回からなかなかの悪役振りな小野政直ですが、今日は彼に注目してみたいと思います。



 まずは小野氏。井伊に仕えていた小野氏は、その名のとおり、皇別氏族「小野氏」の末裔だそうで。


小野氏といえば古くは誰もが知っている



「小野妹子(いもこ)」 や、閻魔大王も友達な


「小野篁(たかむら)」や、書道の


「小野道風(どうふう)」



「おのののか」



を排出したことで有名ですね。 ・・・え、最後はちがう?!



 さて、この小野氏の本拠地は、もともと近江国滋賀郡小野村で、戦国時代には遠江国豊田郡を経て引佐郡小野村を拠点としたようです。


 しかし、ドラマでも描かれているように、いくら家老とはいえ主君にとって代われるような動きがそう容易くできるものか?という点には、見ていてもちょっと違和感を覚えます。




「今川氏から見て、主家井伊家が頼りないから、しっかりしているうちの小野氏が取り立てられるのじゃ」




みたいなことを吹越満が言っていましたが、いくら下克上の世とは言え、そういう文官としての「実力主義」はこの時代にはあまりないので、武力で力を簒奪するならいざ知らず、この筋立ては微妙な気もします。


ウィキペディア 小野政
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E6%94%BF%E7%9B%B4


によれば、


もしかすると、元々井伊の傍流なのかも




という説が欄外に書いてあります。こちらのほうが権力争いの実態としてはすんなり入りますね。




~~~~~~~~~~






 さて、吹越満さん。最近では役者さんとして力を発揮しておられますが、80年代を若者で過ごした40代ぐらいの人間にとっては




ロボAV男優



という禁断のネタをやっていた芸人・吹越満が忘れられません(爆)






 たしか、ビートたけしさんがパクってた「ロボ村西とおる」も、元は吹越氏がやっていたような気がするのですが、覚えている人、いたら教えてください(笑)




ウイーン、ガチャ!と言いながら腰を振る小野政直



期待します(無理むり!)





 ちなみに今日の見所は、いろんな意味でアウトでヤバいムロツヨシ!・・・かな?

 




2017年1月8日日曜日

【NHK大河連動 ”今日の『おんな城主直虎』”1】井戸から生まれた竜宮小僧 ~井伊氏のルーツを探る、の巻~




 真田丸ロス覚めやらぬ2017年、新春でございますが、はじまってしまいました!次のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」です(^^


 戦国好きにはたまらない、2期連続の戦国ネタですが、ふつうは戦国時代を一回やると、幕末に飛んだりしますので、今年は嬉しい限りですね。


 個人的には、「軍師官兵衛」からの高橋一生くんが出てくるのも、楽しみです。



 というわけで、BS夕方6時からの「早虎」を見ての、ツッコミを入れるブログ!真田丸に引き続いて再開です。




~~~~~~~~~~



 三谷脚本とは違って、小ネタや仕込みは少ないものの、オーソドックスではありながら「生き生きと」描かれている今回の直虎。キャストのみなさんの持ち味が十二分に生かされていて、見ごたえのある仕上がりになりそうです。


 第一回は、主役の子ども達も元気に演じているのと、ミステリー仕立ての脚本で、良いスタートだと思います。


 このまま1年間、楽しみですね。



 さて、今回のドラマのベースにもなっている「井伊氏」のルーツですが、公式には藤原北家から出た藤原氏となっていて、室町時代ごろから「藤原」を称しているようで、それがそのまま幕府への公式届出でも「藤原氏」としているとのこと。


 ところが、ドラマでも出てきますが、「井伊氏の初代は、井戸に投げ込まれていた赤ん坊」という話が興味深いです。


 幕府の系図上でも、



■ 遠江国へ移った藤原共資の息子、藤原共保が井伊谷に移り住んで 「井伊氏」の祖となった。


ということが書いてあるわけですが、この井伊共保という人物は、


■ 井戸の中から神主が赤子を見つけて、そのただならぬ様子に、藤原共資は、その子を養子として娘の夫とした。


のだとか。(この話はドラマで使われています)



 そのほかにも、藤原南家の出であるとか諸説はありますが、早い段階で遠江国の実力者として記録に登場するようです。



 播磨屋さんの解説によると、面白い話があと2つほど。

 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ii_k.html



 ひとつは、



「井伊」



という苗字の読みについてですが、本来は「井」で、「い」と短く発音するのではなく、「いー」と長音で発音しているうちに、もう一つの字を後から当てて「井伊」となったのではないか?とのこと。



 ”保元物語” に遠江の武士として「井八郎」(いー・はちろう)という名前があり、初期の井伊氏だと推定なさっています。



 ふたつめは、「井伊介(官職としては遠江介)」という呼び名の件ですね。



 三浦介、千葉介、上総介などは、有名な呼称で鎌倉幕府においては、「誰もが知ってる通称」みたいになって代々受け継がれたわけですが、「井伊介」も同じくらい重要に受け止められていた呼称でした。



 戦国時代になると、ドラマの通り、今川氏の支配下に入りますが、今川氏は清和源氏・河内源氏と続いた


源氏本流組の一派


であって、 おまけに、室町将軍である足利氏の分家でもあるので、



 駿河守護・遠江守護



を担った名門です。



 対して井伊氏は「遠江介」なので、そもそも格式が違う、ということになるわけです。



(ちょっと時代は違いますが)わかりやすいので律令四等官で説明すると、各国の管理官は



 長官   守(かみ)

 次官   介(すけ)

 判官   掾(じょう)

 主典   目(さかん)



という等級になっています。


 室町時代までは、こうした格式は政府の決めた通りにランク付けされているわけですが、その政府が崩れて無政府状態になると、


「下のランクのものや、格式のないものが、格式のあるものやランクの上の者を倒す」


ということが起きてきます。それがいわゆる「下克上」の考え方というわけです。




 今川義元のもとには、のちの家康となる竹千代くんも人質で行ってますが、弱小松平氏は、今川氏の庇護を頼らなくてはいけなかった、ということです。


 ちなみに、織田氏をこのランク付けで見ると、「越前守であった斯波氏の家臣」ということになります。

 のちに、斯波氏は遠江守なども歴任し、名古屋方面へと関わりが出てくるので、織田家も越前から南下することになりますが、信長登場直前のランクでいえば、


 「尾張守護代」


が織田家の官位になります。代理人であった織田氏が、主家の斯波氏を乗り越えることで、ここでも「下克上」が生まれたわけですね。


★【ややこしいけれど官位としては尾張守護代であった織田氏は、通称としては代々伊勢守(いせのかみ)を名乗っています。このへんから本来の官位と名称が崩れ始めているのですね】




 というわけで、次回の直虎がどうなってゆくのか、楽しみです!













 

2017年1月4日水曜日

豊臣どもが夢の跡・・・大阪城へ遊びに行ってきました!



 大人気だったNHK大河ドラマ「真田丸」も終わってしまい、次の日曜日からは早くも「おんな城主直虎」が始まってしまうわけですが、せっかくなので



 真田丸終焉の地、大阪城



へ遊びに行ってきました。



 いわずと知れた天下の”コンクリート”名城、大阪城ですが、世界遺産の現存天守を持つ姫路城を擁する兵庫県民としては、



 コンクリート製の復興天守が、なんぼのもんやねん!



と思っていましたが、 昭和6年製とあって、かなり年季も入っているし、興味深く拝見してきました。


 もちろん、城郭建築としては全くみるべきところがないことは否めませんが、日中戦争すらまだ始まっていない頃の建築物ですから、実際にはかなり味わいがあります。


 内部はともかく、外部については、それなりによくできているなあ、と感心いたしました。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 秀頼様が自害したのか(遺体が見つかっていない)、あるいは薩摩へ逃げ延びたのかはわかりませんが、秀吉時代の大阪城は、家康によって完全に盛り土で蓋がされ、その上に新しい大阪城が建っている、というのは現地に行くとよくわかります。


 外側から中心部分へ行くにしたがっての「高低差」の大きいことったらありゃしない!


 なんぼ大阪城が上町台地の上に建っているとしても、台地の周辺部と比較してもとてつもなく高い位置にあるのが大阪城の本丸で、10メートル近く下に本来の秀吉大阪城がある、というのはまさにそうだと思います。


 まるでチェルノブイリの石棺のごとく、旧大阪城は完全に埋められている、というわけですね。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 というわけで、大阪城の南にある、豊国神社にも行ってきました。


 豊国神社は、京都が本店ですが、徳川時代は打ち壊されていた秀吉を祭る神社であるため、復活したのはなんと明治になってからとのこと。


 いつの時代も勝者が敗者を無かったことにするのは同じなのですな。


 埋められた大阪城にしても、破却された豊国神社にしても、家康の秀吉抹殺ぶりは、なかなか徹底しています。


 そうでもしないと、平和な時代の影のように「豊臣氏復活」を願っての新たな争いが何度でも起こることを見越していたのでしょう。



 というわけで大阪の豊国神社には



 秀吉

 秀長

 秀頼



 の三人が祭られているそうで。



 ああ!やっぱり秀次は、カウントされないのね!!!!