昨日の金曜ロードショーでは、細田守監督の
「サマーウォーズ」
をやっていた(^^
この映画、長野県上田市が舞台で、登場人物たちのモデルは、真田氏だと思われる。
六文銭の甲冑が出てきたり、おばあちゃんの着物の家紋が「結び雁金」だったりするので、真田オーラが全開というわけ。
ついでに言えば、実家の門は、「上田城」の城門がモデルになっているようで。
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さて、そんな長野県上田市と横尾一族との関係をあらためておさらいしておこう。
長野県上田市、上田城は、真田氏の居城である。この地は旧名「信濃国小県郡上田」といい、真田氏はこの地の小さな豪族からスタートしたと考えられている。
真田氏は、甲斐武田氏に仕えており、武田氏滅亡のあとは織田氏、豊臣氏と仕えて関が原へ至る。
このあたりは来年の大河ドラマでみっちりやるはずなので、期待大ですな。
ところで、この真田氏。実は小県郡で活躍するに当たっては、それまでその地を支配していた横尾氏を追い出して居座るような形になっている。
それが、おなじ上田市旧真田町の「横尾城」の物語であって、このへんは以前の記事で解説したので割愛する。
ちなみに、この地において真田に追い出された横尾氏は、本姓平氏を名乗っているため、どうやら当家のご先祖と関係あるとは思えない。
当家の横尾氏は、源氏を名乗っており、これがもし長野にゆかりがあるとすれば、
源氏の横尾氏と平氏の横尾氏
という2種類の氏族が長野に存在する、ということになるわけである。
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その謎を解くヒントが、やはり真田氏にある。真田氏という一族は、戦国時代の後半に頭角を表した氏族で、実は
出身がよくわかっていない
のである。
公式見解としては、真田氏は
①清和源氏である
②海野氏の末裔とする。
③滋野氏嫡流、海野氏につながるとする。
となっているが、これは近世になってから創作された可能性が高い系図である。
では実際にはどうだったのか?歴史資料的には、おなじ信濃の名族である根津氏の支配下に「真田・実田」などの名前が見えるので、根津氏末流もしくは家臣であると考えられている。
はい、ややこしくなってきたので、まとめ。
まず信濃には滋野三家という「有名な氏族が3氏」存在していた。
この滋野氏。伝説では清和天皇の第四皇子が長野に来て、滋野姓をもらったことになっている。
なので、系図上の滋野氏は「清和源氏」ということになる。
(しかし、現実的にはどうも違うらしい、別の滋野姓の一族が、清和天皇由来説を創作したという説が強い)
さて、滋野氏から「海野・望月・根津」という3つの氏族で出てきて、これらを「滋野三家」と呼んでいる。
■ 海野氏 <六文銭> 小県郡に勢力。 滋野の分流とされているが、証拠はない。あるいは滋野系とは無関係のスタートかもしれない説あり。
ただし、滋野嫡流とされている。 長男家
■ 望月氏 <九曜> 佐久郡に勢力。 滋野の分流。鎌倉時代には望月姓。三男家。
■ 根津氏 <丸に月> 小県郡に勢力。 次男家。
(基本的に、3氏族は強い協力体制にあった)
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さて、真田氏の真実に迫ろうとすれば
「海野氏よりも、実は根津氏に近かったのではないか」
とか
「滋野氏がそもそも清和天皇末裔であることが、不明」
とか、いろんな問題点が浮上する。
しかし、大名になった真田氏としては
「俺は清和源氏で天皇の末裔なんだもんね。かつ、信濃でナンバー1の滋野氏の末裔で、かつその中でも長男の家系の海野氏なんだもんね。だから家紋は六文銭で結び雁金なんだもんね」
ということを主張しまくったことだけは、なんとなく伝わってくる。
まあ、必死こいて自分たちの正当性を言いまくったわけである。
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なんでこんなに主張するのかはカンタン。それは真田氏が「元いた連中を追い出した側」だからである。追い出した側としては、その地を支配するにあたって、「そこにいていいんだよ」という正当性を打ち出さないと、いつまでたってもアウェィ状態でうまく支配できない。
そのため、信濃で一定の権限を持っているはずの滋野流を名乗ることで、「あとから来たよそ者みたいに見えるけど、実はこの地の元からの支配者の子孫です」と言わねばならなかったわけであろう。
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