2024年9月16日月曜日

【丹波原田氏の謎を解く01】 新シリーズ!今度は原田氏。

 

 これまでの調べで、丹波赤松系横尾氏の全貌についてはある程度明らかになったので、記録がてらおなじく丹波地域の原田氏について謎を解いてゆこう。


 原田、というのは私から見て祖父方の氏族だが、本拠は氷上郡青田村で、このエリアではかなりの古家として知られている。


「兵庫県史 史料編」


”原田文書 氷上郡山南町 青田原田政次氏所藏 | 天正四年十二月五日種長諸公事免除状”

”氷上郡山南町青田の原田政次氏の所蔵されている文書で、原田家の先祖と思われる原田右衛門大夫に宛てられた公事免許状である。原田家は江戸時代には庄屋を勤めていたということであるが、その他詳細については不明である”


「姓氏家系大辞典」


 「丹波志」にも記載がある氷上郡の名族、ということになっていて、下滝村の枝村である青田村にある旧家と書かれている。先祖はヒノキの曲げ物をつくり、上滝村から朝廷へ献上する器を作っていた」とされている。


 さて、ここで兵庫県史のほうに「種長」という人名が出てくるが、文書そのものを見てみると


”種長諸公事免除状 丹州氷上郡栗作之鄉、御供之工師、如先規、諸公事令免除者也、仍如件、

天正四年拾二月五日種長(花押) 原田右衛門大夫殿 竹鼻兵衛尉(包紙うわ書きか)

「檜物師 御藏」”



というものらしい。


 種長が花押を書いていて、原田右衛門大夫が、いわゆるこの地での原田家の祖と考えて良さそうだ。

 

 興味深いのは、姓氏家系大辞典のおなじ「原田氏」の次の項目である。22播磨原田氏、23丹波原田氏ときて24項に「摂津原田氏」についての説明があるのだが、



 どうやら摂津能勢郡にも原田氏がおり。「原田太夫種長」の子孫である、というのである。


 どうも種長とは、原田一族に深い関係がある人名らしい。


 ただし、青田原田氏に免状を書いた「種長」は天正年間、戦国時代の人だが、建保とは鎌倉時代で、ずいぶん年代が異なる。


 それでも太田亮としては「前二項の氏族は関係がある」としているので、能勢・氷上・播磨の原田は同族の可能性がある、というわけだ。


(「大阪府全志」 能勢郡大字野間出野の項

”原田種長の子孫と称するものに大字野間大原の原田氏あり”


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さて、この原田氏、「九郎義経の謎」1981・伊藤によると


「種長たちが、能勢の地へ来たのは偶然ではなく、種長の父原田種直の指示によるのである。」


とあり、


原田直種

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E7%A8%AE%E7%9B%B4


がルーツということになりそうだ。


 この原田氏は秋月氏などを出した筑前の大蔵系統で、大蔵春美が祖である。

 筑前御笠郡原田を拠点として「原田」の苗字が成立するわけである。直種自身は太宰少弐の役職に就いた。


 興味深いことにここで「播磨の原田氏」を見てみると、「明石の大蔵に住んだ」とある。この明石大蔵谷の大蔵と、九州の大蔵氏は語源的な混同がよく見られるので、なぜか「大蔵」が登場するあたり、太田亮としても


「なんかよくわからんけど、関係ありそう」


という直感が働いたのだろう(笑)



(つづく)