ブログの更新があまり出来ていない間に、当家のルーツについての「下流」からの調査が随分と進んだので報告しておこう。
まず、私の実家に現存している過去帳から名前を辿ってみると、過去帳に
「源氏」
の名があることが判明。とりあえずの真偽のほどはさておき、
源姓横尾氏
なるものが存在することを、この段階では提案しておきたい。
☆このことは、後にいろいろな横尾氏のルーツを追跡する上で、一定のヒントになろうと思うので、要チェックである。☆
この過去帳の記載から考えると、「源曹軒~」なる人物は、横尾A家から出て、分家横尾B家の最先祖となったことがわかる。
残念ながら俗名の記載がなく、戒名だけなので「源曹軒~」がどのような人物なのかは、現時点では不明だが、逆に考えると当家「横尾家」について、まだその先に遡れるということでもある。
このように当家直近の先祖についてわかる資料は取り急ぎこの過去帳とお墓しかないのだが、実はお墓については、当家のみならずおなじ一族の「横尾家」全体の祖先らしき人物の墓が残されている。
それが、
この墓碑。ちょっと読みにくいと思うが、「元祖横尾正政之墓」と刻まれている。
つまり、当家を含む「横尾一族」は、この「横尾正政」を先祖として認識しており、祀ってきたということが、まず事実としてあるわけである。
さて、この墓碑、裏面にいくつか文字が刻んであるのだが、実は判別にとても苦労している。しかし、その中でちょっと注目すべき記載を発見した。
少し画像を見やすくしているが、「天正十一年」のように読める。
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さて、この墓碑についての「注意点」をまとめておこう。
① この墓碑は横尾正政が生きていた時代のものではない。(もっと後代になって造られている)
② 天正十一年に何があったかが、よくわからない。
③ 仮定として「天正十一年に横尾正政が当地に居た」ということは推測できる。
より詳しいことを言えば、「元祖」とついている時点でこの墓碑は後世の子孫が祖先を祀ったものだとわかるし、何より天正時代の墓碑の形と現存する墓碑が年代的に合わないため、後世の作だと考えられるわけだ。
さらに、普通に考えれば天正十一年は横尾正政の没年だと推定できるが、あるいは「天正十一年に当地にやってきた等の説明書きが刻まれている可能性」もあるのでここは断定を避けたい。
全体としての印象は、天正十一年にこの地に存在していた横尾正政を偲んで墓碑を子孫が建てたか、あるいは古いものを改葬したものと思われる。
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というわけで徐々に謎が明らかになりつつある「横尾氏」のルーツであるが、いったい天正時代に何があったのか?!
続きはまた今度。
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