というわけで、全国の「横尾姓」について、まずはネット上からいろいろと情報を拾ってみる。
最初は
長野県上田市の横尾城
というところがあるらしいので、そこからスタート!
大竹屋旅館 さんより 長野県上田市横尾城
http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagano/uedasi04.htm
横尾城というのは、長野県上田市、真田町の「横尾神社」の北方山中にあるという。もちろん、現在は遺構が失われているが、別名「尾引城」としてちょっとした山登りができるように整備されているらしい。
横尾城城主は、宝永年間(1704~1710)の図面に「横尾采女正の城」とあるという。
ここでちょっとおさらい。宝永というのは、徳川綱吉の頃なので、これは図面が「宝永期」に描かれた、ということ。
横尾采女正さんが生きていた時代とは、ずれているので気をつけて!
このことについて
上田市文化材マップ さん
http://museum.umic.jp/map/document/dot119.html
にはもう少し詳しいことが載っている。
宝永期の図面とは「信濃国郡絵図」で、そこには「横尾采女正(よこおうねめのじょう)の城跡」と書かれているわけで、江戸時代から見て、昔のことを指していることになる。
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さて、では横尾采女正とは何者なのか。
岩櫃城興亡史 さんのサイト
http://www.denno2488.com/index.php?%E5%B0%BE%E5%BC%95%E5%9F%8E
にちょっと詳しい話が載っていた。
上記記事によると、横尾采女正は「葛尾城主村上義清の一族」であるという。そして、横尾采女は、村上氏とともに「上州に落ちた」という話が書かれている。
さて、横尾氏がいなくなった後に、この地を手に入れたのが真田幸隆で、「信綱寺」という当時は横尾氏の菩提寺であったであろう寺まで
フライングゲット
してしまったようなのだ。
ちなみに、さ来年のNHK大河ドラマは「真田丸」らしいので、真田氏についてもリサーチしておこう。
◇ 真田幸隆 甲斐武田氏の家臣。真田幸村のおじいちゃん。息子に真田信綱・真田昌幸がいる。
◇ 真田信綱 「信綱寺」に弔われている人。幸隆を継いで真田家当主となったが、天正3年長篠の戦いにて死去。真田家は弟の昌幸が継いだ。
◇ 真田昌幸 家康が最も恐れた男の一人で、はじめ武田氏に仕え、のち秀吉に仕えた。息子は真田幸村。
◇ 真田幸村 大阪夏の陣・冬の陣で活躍した。猿飛佐助ら真田十勇士の親分とされているが、史実はどうなんだか。
◇ 真田広之 千葉真一の弟子。アクションスター。元嫁は手塚里美。真田一族とは全く無関係。
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話がずれてしまったが、村上氏とともに上州へ去っていった横尾氏はいったいどうなってしまったのか。
まて次回!
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