どうも怪しい。
どんどん深みに入っているけれど、どうも怪しい!というのが現在の状況。
現在、兵庫県のとある地域に存在する「横尾」という名字について調査を重ねているのであるが、江戸時代の文献にはその家柄について記載があるものの、出自・ルーツについては触れていないため、基本的には他の証拠を調べまくる、ということしか方法がないわけで。
しかし、確たる証拠はまったくないのだけれど、その周辺で見え隠れするひとつの事象がたしかに存在しており、それは
長野県
に関わるものなのであーる。
このブログでも、長野県に存在する「横尾」姓については、少しだけあたりをつけたことがあるが、その段階では、点と線は直接結びついてはいない。
しかし、あやしい。あやしいったらありゃしない。
少し話を整理してみよう。兵庫県というのは、もともといくつかの旧国から成立している。
姫路近辺は「播磨国」だし、神戸近辺は「摂津国」である。真ん中あたりは「丹波国」であり、北のほうは丹波から分かれた「但馬国」であることはご承知のとおり。
現在でも、播磨・北摂・丹波・但馬などは地方名、地域名としてふだんから使われている。
ここに、突然長野県の旧国名である「信濃」が出てきたら、ふつうの人は
へ???
とハテナに包まれることだろう。 兵庫県と、長野県はそれはそれはものすごく離れている。信越地方と近畿地方、という括りで考えても、
全然地理的な接点がない
と感じるのは、現代人なら当たり前である。
歴史を知っている人なら、たとえば
「京都と福井はサバ街道で繋がっている」
とか、同様に距離が離れていたとしても
「丹波と出雲は、なるほど山陰道のメインルートだね」
とか、
「福岡と京都の関係か~。それは大宰府と都とのつながりがあるかもね」
とか、そういう風に歴史的にどんな関係性があるのかについてピン!とくるものがあってもよいわけだ。
それらと同じような考え方でみたときに、果たして「長野と兵庫にどんな関係があるというのか」が横尾一族の謎をとく鍵ではないか、と考えるのである。
では、具体的にそのミステリーの点と線をひもといてゆくことにしよう!
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最初からズバリ言っておくが、兵庫県と長野県のミステリーを解く中で、ポイントとなるのは旧国名で言えば
「丹波国と信濃国」
である。いろいろと精査した結果、現在の目線では兵庫と長野だが、ポイントを絞れば、播磨でも摂津でもなく
「丹波と信濃」
には、ものすごく深い縁というか接点があることがわかってきたのである!!!!!
(この節つづく)
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