丹波青田の原田氏のルーツについて、考察を深めてゆくこのシリーズ。前回は
■ 丹波原田氏は 天正年間の「種長」の書状を持っている
■ 摂津国能勢の原田氏は、鎌倉時代の「原田種長」の子孫を称している
■ 播磨の原田氏は明石大蔵谷に関わりがある
■ 原田種長は「九州・大蔵氏」の一族である
というあたりまで、まさに「アタリをつけた」くらいのところまで進んだ。
まだ、この段階では話がざっくりとしすぎているが、大枠をまとめると「丹波・播磨・摂津の原田氏は、平安末期〜鎌倉期の有名人、大蔵春実の子孫なのではないか?ということになってくる。
さて、このうち摂津・能勢原田氏については、なかなかおもしろい壮大なファンタジーになってくるので、いちおう先に押さえておこう。
伝承によると、この能勢原田氏については、平氏が滅んだ時、藤原経房・原田種長・郡司景家らが壇ノ浦から安徳天皇を連れ出して、能勢まで連れてきて隠れ住んだ、というのである。
その顛末は
https://www.mapple.net/articles/original/12299/
にもあるので、ぜひご一読いただきたい。
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一方の丹波原田氏だが「栗作郷」における権益を認められたようだが、実はこの丹波国の栗作郷というのは、久下氏という一族の影響下にあった。
久下氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kuge_k.html
久下氏は頼朝時代に丹波国栗郷庄を与えられているので、なるほど、九州系原田氏の活躍時期と近いといえば近い。しかし、それぞれ所領が全然違うエリアで遠いので、九州原田氏の子孫が久下氏の家臣となるようなことは、単純には想像しにくいところはあるだろう。
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さて、大蔵姓原田氏にも「明石の大蔵谷に住んで」という説があるが、これは私もこじつけレベルの話だと考える。
https://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-harada.html
一貫して九州の御笠郡原田のほうが、整合性が高いだろう。
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では播磨には原田がいなかったのか?というと太田亮も引用しているとおり、
” 伊賀判官、よつ引いて放しけるに、平九郎判官、持ちたりける弓の鳥打ち所をはたと射削りて、弓手の方に並んで控へたる、播磨国の住人・原田右馬允が頚の骨にあたる。馬より逆にをちて死ぬ。支へて射る矢、その仁には当たらず、傍なる者にあたりて死ぬ事、「定業、力及ばず」とぞ見えし。”
という記述が「承久記」にあるため、播磨に「原田右馬允」なる武将がいたらしい。
(ところが、別の系統の本では「播磨国の草田右馬允」となっているものがあるから留意したい)
「兵庫県史」 ”播磨の草田右馬允なるものが、京都守護伊賀光季に射られて戦死したと伝える。”
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こうなってくると、もはや何がなんだかわからないので、実際の原田姓の分布を兵庫県内でみてみよう。
世帯数 地域名
23 兵庫県 加西市 満久町
14 兵庫県 加西市 北条町栗田
14 兵庫県 揖保郡太子町 老原
14 兵庫県 姫路市 林田町下伊勢
13 兵庫県 神戸市垂水区 西舞子
12 兵庫県 加西市 小印南町
12 兵庫県 加古川市 志方町投松
12 兵庫県 加古川市 野口町北野
11 兵庫県 尼崎市 尾浜町
11 兵庫県 城崎郡城崎町 桃島
11 兵庫県 尼崎市 東園田町
10 兵庫県 洲本市 上物部
10 兵庫県 洲本市 下加茂
10 兵庫県 加西市 北条町北条
10 兵庫県 篠山市 小野奥谷
10 兵庫県 加古川市 平岡町新在家
10 兵庫県 神戸市垂水区 塩屋町
10 兵庫県 津名郡津名町 生穂
10 兵庫県 明石市 魚住町西岡
10 兵庫県 明石市 大久保町大窪
10 兵庫県 尼崎市 武庫之荘
・・・
6 兵庫県氷上郡山南町青田
ざっと上位から抜き出してみたが、数字はひとつの集落にまとまっている軒数である。
概観すると
■ 最多集団、大きい集団は加西方面にある。
■ 明石にもたしかに母集団がある。
といったことは言えそうだ。
余談ながら丹波地域の篠山「小野奥谷」村については、近世初頭の文書に「原田備中」という名主層の名前が見られることから、この家も古い家柄だろうとは推定できる。
しかし、全体を通して見ても、これらの原田が「九州系である」という雰囲気は、あまりイメージできない。
ぶっちゃけ九州系を名乗るのは、能勢の原田氏くらいで、それ以外の播磨や丹波の原田氏は、いまの段階では
「ゼロベースで謎」
としか言えないのである。
というわけで、この検証はまだまだ続くのであった!
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