九州、特に佐賀県近辺に「横尾」姓が多いことは既にこのブログで何度も述べたとおりだが、佐賀の横尾氏に直接繋がるかどうかはともかく、
九州の横尾さん
のルーツの確信に近いのではないか?という情報が明らかになってきたので、今日はそのあたりをまとめてみたい。
というのも、ちょっと九州に関係ある別の氏族を探していて、
「ん?こんなところに横尾の陰が!」
というお話が見つかったのである。
その探していた別の氏族というのは、「日子」系氏族である。
”日子”というのはその名の通り「日(つまり、アマテラスを始めとした天孫)の子」という意味で、皇室の子孫、みたいな意味合いの古いスタイルである。
ちょっとややこしいのは、この「日子」系氏族は、そのまま九州と関係があるというよりは、「岡山吉備」地方との関係があったりして、じっくり読み解かなくてはいけないのだが、簡単にまとめると以下のようになる。
(参考文献:日本の苗字7000傑さん
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01235.htm
古樹紀之房間さん
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/hinago1.htm
)
■ まず、第7代孝霊天皇の子である吉備津彦という人物がいる。
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E6%B4%A5%E5%BD%A6%E5%91%BD
■ このキビツヒコが、岡山方面吉備の吉備氏族の祖となったり、吉備津神社に祭られたり、桃太郎がキビ団子をもってゆく話の元ネタになったりする。
■ その子が葦北国造に任命されたことで、葦北郡(熊本)地方に根付く。つまり、九州入り。
■ 葦北国造一族から、 日奉部、日奉直、日奉宿禰などの日奉系苗字が生まれる。
■ その日奉氏から肥後国益城郡に拠点を持ったのが横尾氏。
■ そして、蒙古襲来絵詞で有名な竹崎季長の「竹崎氏」も、ついでに近くにいる「合志氏」も、横尾同族だと言うわけである。
もちろん、竹崎氏のルーツも定まっておらず、菊池系だの阿蘇大宮司系だの言われているが、特に阿蘇大宮司だとすれば古代系氏族は社家(神社の神主の家柄)になることも多いので、意外といい線いっている可能性もある。
(肥後に竹崎城がある。竹崎氏の拠点か)
もちろん、合志は、いまでも合志市がちゃんとあるし(熊本市のとなり)、私が追いかけていた日子系氏族は玉名郡にもいるので、
肥後からじわじわと筑後・肥前方面にかけて吉備津末流がいる!!!
のは、疑いないところではある。
これらの吉備津系横尾氏が、なんらかの事情で佐賀で花開いたことは充分に考えられる、というわけである。
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しかし、豊後には清原氏系の横尾もおり、
大分県の横尾姓情報
http://53kiri-yokoo.blogspot.jp/2015/06/blog-post_61.html
このあたりとエリアがリンクしてくるのがちょっと気になる。熊本系と大分系がスパっっと別れるものなのか、それとも何らかの事情で話が混じってくるのか・・・。
まだまだ謎は深まるのであった!!
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