佐賀横尾氏に「もと波多野」の伝承があるらしいことは前回説明したが、ではそこにどんな謎が潜んでいるのか。
今回は全国の「波多野姓」について考察しながら、その点と線を結んでいきたいと思う。
そこで、全国にはどのような系統の「波多野」さんがいるのかを調査してみた。そこから肥前国との接点がありそうな波多野氏をピックアップしてみよう、というわけである。
(最新情報は2015.10.22)
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波多野姓・波多野さん・波多野氏 完全総覧
A 波多野氏 甲斐国 藤原秀郷流(支流・子孫に【川村】【中島】【西島】)
B 波多野氏 丹波国 藤原秀郷流(支流・子孫に【酒井】【荒木】)
C 波多野氏 相模国余綾郡波多野より起こる。藤原秀郷流(支流・子孫に【松田】【渋川】【沼田】【菖蒲】)
C’ 波多野氏 尾張国 藤原秀郷流・波多野義通後裔(支流・子孫に【野間】【門奈】)
C’ 波多野氏 もと山田を称し、波多野に復姓。藤原秀郷流。波多野義通後裔
D 波多野氏 三河国 藤原秀郷流(支流・子孫に【河村】)
F 波多野氏 淡路国 日下部氏の末裔
G 波多野氏 大伴氏~佐伯氏を経て波多野氏
H 波多野氏 桓武平氏~宗氏を経て波多野氏
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以上ざっと概観してわかる興味深いことは、特に「相模系波多野氏」など「秀郷流」の分岐がやたら多いことである。
それぞれ拠点とする地域は全くことなるが、仮冒の可能性も含めてとにかく「秀郷流」を称する波多野氏がとても多いことから、真偽はともかく
「波多野といえば秀郷流」
という認識が古くからあったことをうかがわせる。
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ところで、前回「丹波波多野氏」について着目したが、ウィキペディアによるとこの丹波波多野氏は
出自が不詳
と言ってよいのだそうである。
丹波波多野氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%A4%9A%E9%87%8E%E6%B0%8F
説としては
① 相模波多野氏である「波多野義通」がルーツ。
② 因幡国八上郡田公氏の一族。
③ 桓武平氏より三浦氏の出。
④ 丹波国豪族の日下部氏がルーツ。
の4つの説が挙げられており、つまりはまったくわからないということである(苦笑)
どこかで見た構図ではあるが、丹波波多野氏は、ある時期突然現れたに等しいわけで、戦国時代の幕開けとなった応仁の乱において
「細川勝元についた波多野秀長という武将が、丹波国多紀郡を与えられた」
ところからスタートし、とにかく因幡か相模かしらんけどどこかから来た秀長の子孫が丹波に根付いた、と続いていくのであった。
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ところが、話を戻したいのだが、波多野をおいかけていると「横尾」は全然出てこない。このままでは果たして横尾と波多野の接点がまったく見つからないのだが、困ったものである。
もちろん、丹波地域にも「横尾」という氏族はいるのだが、この丹波横尾氏のもっとも古い記録は天正期であり、波多野氏のほうがはるかに古く、かつ現在のところ接点が見つかっていない。
☆ちなみに丹波横尾氏は源氏であり、波多野氏は藤原氏である。
だとすると、波多野=横尾ラインはどこにあるのか。
その謎を解くカギとなる
有力な可能性のある情報!
を今回探検隊は発見したのである!
(この章つづく。まて次回!)
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