2015年10月26日月曜日

【20】佐賀県の横尾姓を追え! 〜パート7・佐賀横尾氏のルーツ!山陰系に横尾あり?!〜

 前回は、石見地方を中心にしながら



① 相模波多野氏が石見に根付いて「横尾」を名乗った例があるらしいこと。

② 石見の益田氏・吉見氏と結びついて「益田系波多野氏」「吉見系波多野氏」を生んだらしいこと。


を仮説として挙げることに成功した。


 しかし、波多野氏について読み解くならば「石見説」はよいとして「因幡説」について補完ができていないことに気付かされる。しかし、


 因幡の「波多野」はどうしていたのだろうか?


 そして、この地における「横尾」の動きは?


 今回は、このあたりに注目してお届けしよう。


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 さて、もういちど確認しておこう。丹波波多野氏における各説は以下のようになっている。



説①  丹波波多野氏は、因幡国の八上郡を領しており、八上殿と呼ばれていた。山名宗全率いる山名氏に従って京に上り、波多野秀長が丹波に来た。よって多紀郡の城を八上城とした。(丹波志)


説②  丹波波多野氏は相模波多野氏の義通の子孫であり、波多野経基が丹波に来た。その父義基は【伯耆(国)波多野】となり、その子経秀は【美作(国)波多野】となって、因幡・伯耆・美作の3箇所の守護となった。よってこの3家は同族で、あるとき丹波波多野家に世継ぎが絶えたので、因幡の波多野家から養子をとったのである。(籾井日記)


説③  波多野清秀という初代が、石州の人で、源氏で吉見氏。細川勝元に仕えて上京し、母方の姓を名乗って『波多野』とした(幻雲文集)


説④  丹波豪族日下部氏の末裔、田公氏(姓氏家系大辞典)


説⑤  因幡の国侍波多野氏(因幡志)


説⑥  因幡八上郡田公氏説(姓氏家系大辞典)




 このうち、説③についてはクリアした。しかし、残りの説についてはどうだろう。


 実は


 鳥取の中世の城 さんのブログ
 http://tottorijou.skr.jp/totchiyu4.html


などにもあるように南北朝時代に鳥取に「波多野」という氏族がおり、それが日下部流や田公流と推定されることから、


その因幡の波多野氏が丹波に来た


ということを真実かこじつけかはわからないけれど、推測している、ということなのである。




 さて、丹波波多野氏の真実のルーツが、相模系なのか、日下部系なのか、そのあたりのことは誰にもわかりようがない。


 しかし、波多野敬直が「横尾は実は波多野氏である」という伝承を持っていなければ、そもそも波多野に改名したりはしないであろうから、ポイントはやはりそのあたりにあるのではなかろうか。


 前回記事では、「横尾・波多野」の点と線が石見にあることをつきとめたが、因幡や伯耆には横尾氏は存在するのであろうか?


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 ちなみに「太平記」には横尾氏は登場せず、少なくとも「太平記における波多野氏と横尾氏の関連性」は見つけられていない。


 では、因幡付近における「横尾」の動向はどうなっているのであろう。

 以下、リストアップしてみた。


① 江戸時代も後半だが、因幡鳥取藩3代藩主池田吉泰の側室が横尾氏(荘園院)であり、その娘(瑤台院・亀姫)が肥前佐賀藩6代藩主鍋島宗教(1718-1780)の婚約者になっている。


 因幡鳥取藩と佐賀藩の関係の濃さについては


 和左衛門さんのブログ
 http://hizenkoku.sagafan.jp/d2012-04.html


 にて詳細がリサーチされている。


 あるいは因幡横尾氏から「横尾姓と波多野姓の関係」が佐賀にもたらされたのかもしれないが、そこは未詳。




② 因幡国巨濃郡(岩井郡)の山名支流に「中嶋氏、一上氏、横尾氏、篠部氏など」あり。現在の岩美町「横尾の棚田」の近辺か?




③ 美作国英田郡に江見氏という一族があり、「横尾氏」と関わりがある。

 
 氏族の追跡さんのブログ
 http://tomioka.at.webry.info/201106/article_24.html


 これによると、江見氏の女性が平忠度に嫁ぎ、その子孫が横尾氏となり、信濃小県郡に入る、と繋がるそうである。

 しかし、美作と横尾にダイレクトに繋がるかどうかは不明。



④ 因幡に入った木下氏(荒木村重の家臣)が智頭郡等を秀吉から与えられ、その家臣に横尾氏がいるらしい。そのため智頭近辺に横尾姓が現存する。



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 こうしてみると、最もリアリティがありそうなのは山名から分かれ出た横尾氏が、因幡に存在したらしい、ということはわかるものの、どうにも波多野氏との接点はなさそうに思える。


 
 まとめてみると、次のまとめができそうだ。


『波多野氏は、石見系(相模より)と因幡系(地元より)の2種類存在し、横尾氏は石見系(菖蒲氏)と因幡系(山名氏)がある。そして、その両者がクロスするのは、やはり石見波多野・横尾氏においてほかはない』




 さらに重要ポイントを押さえておく。


『波多野敬直が受け継いだ、佐賀横尾氏は波多野姓であったという話が成立するためには、石見系波多野・横尾ラインが想定できる』


しかし、


『丹波波多野氏が石見系であれば、波多野敬直は、たしかに丹波波多野氏と源流を同じくするが、丹波波多野氏が因幡系であれば、波多野敬直は丹波波多野氏とつながらないかもしれない』



 いかがだろうか?少しずつ真実に近づいてきているような気がするのだが、いよいよ大団円を迎えるのであろうか?!



(まて次回。この章つづく)






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