前回は、石見地方を中心にしながら
① 相模波多野氏が石見に根付いて「横尾」を名乗った例があるらしいこと。
② 石見の益田氏・吉見氏と結びついて「益田系波多野氏」「吉見系波多野氏」を生んだらしいこと。
を仮説として挙げることに成功した。
しかし、波多野氏について読み解くならば「石見説」はよいとして「因幡説」について補完ができていないことに気付かされる。しかし、
因幡の「波多野」はどうしていたのだろうか?
そして、この地における「横尾」の動きは?
今回は、このあたりに注目してお届けしよう。
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さて、もういちど確認しておこう。丹波波多野氏における各説は以下のようになっている。
説① 丹波波多野氏は、因幡国の八上郡を領しており、八上殿と呼ばれていた。山名宗全率いる山名氏に従って京に上り、波多野秀長が丹波に来た。よって多紀郡の城を八上城とした。(丹波志)
説② 丹波波多野氏は相模波多野氏の義通の子孫であり、波多野経基が丹波に来た。その父義基は【伯耆(国)波多野】となり、その子経秀は【美作(国)波多野】となって、因幡・伯耆・美作の3箇所の守護となった。よってこの3家は同族で、あるとき丹波波多野家に世継ぎが絶えたので、因幡の波多野家から養子をとったのである。(籾井日記)
説③ 波多野清秀という初代が、石州の人で、源氏で吉見氏。細川勝元に仕えて上京し、母方の姓を名乗って『波多野』とした(幻雲文集)
説④ 丹波豪族日下部氏の末裔、田公氏(姓氏家系大辞典)
説⑤ 因幡の国侍波多野氏(因幡志)
説⑥ 因幡八上郡田公氏説(姓氏家系大辞典)
このうち、説③についてはクリアした。しかし、残りの説についてはどうだろう。
実は
鳥取の中世の城 さんのブログ
http://tottorijou.skr.jp/totchiyu4.html
などにもあるように南北朝時代に鳥取に「波多野」という氏族がおり、それが日下部流や田公流と推定されることから、
その因幡の波多野氏が丹波に来た
ということを真実かこじつけかはわからないけれど、推測している、ということなのである。
さて、丹波波多野氏の真実のルーツが、相模系なのか、日下部系なのか、そのあたりのことは誰にもわかりようがない。
しかし、波多野敬直が「横尾は実は波多野氏である」という伝承を持っていなければ、そもそも波多野に改名したりはしないであろうから、ポイントはやはりそのあたりにあるのではなかろうか。
前回記事では、「横尾・波多野」の点と線が石見にあることをつきとめたが、因幡や伯耆には横尾氏は存在するのであろうか?
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ちなみに「太平記」には横尾氏は登場せず、少なくとも「太平記における波多野氏と横尾氏の関連性」は見つけられていない。
では、因幡付近における「横尾」の動向はどうなっているのであろう。
以下、リストアップしてみた。
① 江戸時代も後半だが、因幡鳥取藩3代藩主池田吉泰の側室が横尾氏(荘園院)であり、その娘(瑤台院・亀姫)が肥前佐賀藩6代藩主鍋島宗教(1718-1780)の婚約者になっている。
因幡鳥取藩と佐賀藩の関係の濃さについては
和左衛門さんのブログ
http://hizenkoku.sagafan.jp/d2012-04.html
にて詳細がリサーチされている。
あるいは因幡横尾氏から「横尾姓と波多野姓の関係」が佐賀にもたらされたのかもしれないが、そこは未詳。
② 因幡国巨濃郡(岩井郡)の山名支流に「中嶋氏、一上氏、横尾氏、篠部氏など」あり。現在の岩美町「横尾の棚田」の近辺か?
③ 美作国英田郡に江見氏という一族があり、「横尾氏」と関わりがある。
氏族の追跡さんのブログ
http://tomioka.at.webry.info/201106/article_24.html
これによると、江見氏の女性が平忠度に嫁ぎ、その子孫が横尾氏となり、信濃小県郡に入る、と繋がるそうである。
しかし、美作と横尾にダイレクトに繋がるかどうかは不明。
④ 因幡に入った木下氏(荒木村重の家臣)が智頭郡等を秀吉から与えられ、その家臣に横尾氏がいるらしい。そのため智頭近辺に横尾姓が現存する。
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こうしてみると、最もリアリティがありそうなのは山名から分かれ出た横尾氏が、因幡に存在したらしい、ということはわかるものの、どうにも波多野氏との接点はなさそうに思える。
まとめてみると、次のまとめができそうだ。
『波多野氏は、石見系(相模より)と因幡系(地元より)の2種類存在し、横尾氏は石見系(菖蒲氏)と因幡系(山名氏)がある。そして、その両者がクロスするのは、やはり石見波多野・横尾氏においてほかはない』
さらに重要ポイントを押さえておく。
『波多野敬直が受け継いだ、佐賀横尾氏は波多野姓であったという話が成立するためには、石見系波多野・横尾ラインが想定できる』
しかし、
『丹波波多野氏が石見系であれば、波多野敬直は、たしかに丹波波多野氏と源流を同じくするが、丹波波多野氏が因幡系であれば、波多野敬直は丹波波多野氏とつながらないかもしれない』
いかがだろうか?少しずつ真実に近づいてきているような気がするのだが、いよいよ大団円を迎えるのであろうか?!
(まて次回。この章つづく)
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